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アステックペイントタイランド4年目を迎えて

2017年5月24日 at 4:56 PM

<2017年5月号アステックペイント定期発行物ホットラインの一部抜粋>

アステックペイントタイランドを設立して4年目。タイで営業をスタートして丸3年が過ぎたことになる。コネクションなし、取引先なしの状態からはじめて、試行錯誤を重ねてきた結果、未だ少しの不安定さはあるものの、何とか事業として形になりつつある。

海外事業において最も難しく、それゆえに成功の鍵ともなるのは、人材マネージメントだと思う。ビジネスモデルや商品力は、海外の成功事例を持ち込むだけでも、すぐに優位に立つことができるだろう。しかし、実際に事業を運営するのは現地の人員であるため、マネージメントが上手くいかない限り事業が成功することはまずない。

ところで、そもそもタイへの進出を決めたのは、日本の大手製造業が、多数、タイへ進出していたことがきっかけだった。日本の大手製造業が海外へ進出すると、その子会社や部品メーカーなども一緒に進出することになるため、タイのバンコク近郊にも、膨大な数の日系大手製造業とその子会社や部品メーカーの工場が存在していた。しかしながら、工場の維持・管理ができる専門業者はほぼいない、ということに気づき、進出を決めたのだった。実際にバンコク近郊の工業団地を視察し、事業を立ち上げる環境が整っていると確信した。
そうして、アステックペイントタイランドは、日系製造工場向けの屋根・外壁の塗装工事を提案するところから事業をスタートすることとなった。

もちろん、タイ進出の狙いは、工場向けの塗装工事をすることだけではない。将来的には、タイ国内で塗料の製造拠点をつくり、タイで販売することを一つのゴールとして見据えている。その第一ステップとして、日系製造工場向けの塗装工事からはじめたのである。次のステップとしては、2018年を目処に、段階的に住宅塗装マーケットに参入したいと考えている。

タイは、富裕層と低所得者層がはっきり分かれており、中間層は極めて少ない。今後もその様相は変わらないと思っている。そして、おそらく発展途上国を脱することも非常に難しい状況と言えよう。近い未来に高齢化社会を迎えることが予測されており、厳しい未来が待っている。しかしながら、タイは富裕層の絶対的な人口が多いという側面もある。バンコク市内・郊外に、日本とは比較にならないような豪華な住宅が数多く建っている。そして、工場と同じく、住宅の維持・管理ができる専門業者は存在していない。

私の感覚では、2000年頃の日本の、ペイントハウスが一気に全国展開して、住宅塗装だけで売上が300億円を超えた時のような流れが、そろそろタイにも来ると思っている。その流れにしっかり乗るとともに、日本品質の塗装工事を提供し、タイのローカル会社に追随されないように今から準備をしていきたい。

“ 世界のなかの日本”という視点

2017年4月21日 at 4:52 PM

<2017年4月号アステックペイント定期発行物ホットラインの一部抜粋>

元外交官の佐藤優氏が過去30年間、座右の書として読み返してきたとされる『日本史』という歴史の教科書のような分厚い本を読んでみた。微かな記憶ではあるが、学生時代に学んだ日本の歴史教科書との違いを感じつつ、とても楽しく読むことができた。

日本の歴史教科書を読むと、日本の歴史は国内事情だけで刻まれてきたような印象を持つが、今回『日本史』を読み、日本で起こった様々な歴史的事象が世界情勢の動きのなかで起こっていることに思い至り、世界史の一部として日本史があることを改めて学ぶことができた。

坂本龍馬についても、本を読む限り、国内事情だけですべてが完結しているように思えるが、実際には海外の影響を大いに受けていたはずである。そもそも20代の若者が、なぜ莫大な軍事物資となる武器や船を購入し、多くの社員を抱えることができたのか。その背景には、スペインが世界の半分以上を植民地化した16世紀頃から、日本もその動きに影響を受けるようになったという歴史的事象があるに違いない。

例えば「朝鮮出兵」「鎖国」「開国」「明治維新」「日清戦争」、そして、その後の戦争もすべて、海外の影響を受けている。日本が国内事情だけで歴史を刻んできたという考えでは、歴史の読み方を間違えるだろう。

現代に至っても、島国である日本の経済は“ガラパゴス経済”とも言われ、輸出依存度が11%と世界的にみても異常に低く、日本国内だけで経済が完結しているかのような錯覚を起こしてしまう。しかし実際には、日本の歴史と同じく、大きな局面では世界の影響を多大に受けている。

今後、日本人の価値観を変えていかなければ、未来に繋がっていかないのではないかと思う。
そして、まさに今が価値観を変えるべき時代の変化の時であるような気もする。ビジネスにおいても、世界の動きを踏まえて考えるという視点は、非常に重要であるはずだ。

徳川家康の格言に学ぶ

2017年3月27日 at 4:47 PM

<2017年3月号アステックペイント定期発行物ホットラインの一部抜粋>

2017年に入り、多くの経営者とお酒を酌み交わす機会があった。お酒の席で話し込んでいると、必ず経営談議になり、最後は“人の悩み”が中心となる。私も、経営は結局「人で始まり、人で終わる」と思っている。そして私も、これまでを振り返ってみても、いつも人の悩みを抱えながら、突っ走っている経営人生である。

そんな折、徳川家康の格言を目にする機会があった。
正直に言うと、衝撃であり、目から鱗であった。そして、恥ずかしくなる自分がいた。


大将というものはな、 家臣から敬われているようで、
たえず落ち度を探されており、 恐れられているようで侮られ、
親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているものよ。

家臣を扱うには、禄で縛りつけてはならず、
機嫌を取ってもならず、遠ざけてはならず、
恐れさせてはならず、 油断させてはならないものよ。

家臣を率いる要点は惚れられることよ。
これを別の言葉で心服とも言うが、
大将は家臣から心服されねばならないのだ。

愚かなことを言う者があっても、 最後まで聴いてやらねばならない。
でなければ、 聴くに値することを言う者までもが、 発言をしなくなる。

いさめてくれる部下は、 一番槍をする勇士より値打ちがある。

己を責めても人を責めるな。


徳川家康と言えば、江戸時代の礎を築いた人物である。江戸は、265年という長い年月の中で100万人という、世界最大の人口を有する都市になった。富と権力の均衡化、ヨーロッパの芸術にジャポニズムという大きな影響を及ぼした浮世絵を代表とした町人文化の発達、なかでも治安や教育レベル、清潔さは、当時、世界一だったとも言われている。

徳川家康が江戸時代の礎を築いた立役者であることを踏まえると、格言は、より一層、重たさを増す。そして、徳川家康の格言は、今の時代にもそのまま当てはまる普遍的な内容であり、読めば読むほど、自分自身が恥ずかしくなる。いつも反省の日々である。