History-08 | 技術課の苦悶 |
History-09 | 売り手としての責任 |
History-10 | 塗装職人への技術フォローを開始 |
History-11 | 代理店から、塗料メーカーへの躍進 |
History-12 | 日本塗料工業会へ入会 |
History-13 | 塗料の研究開発からできる組織へ |
History-14 | 世界へ羽ばたくアステックペイントジャパン |
「もはやクレーム対応係ですね」
そんな声が聞こえてくるほど、技術管理部はクレーム対応に追われていました。
その内容の多くは、施工不良に関係するもの。
その原因は、オーストラリア産のASTEC PAINTS塗料は、一般的な日本産の塗料と塗装のやり方が大きく異なることにありました。
日本産の塗料に慣れている塗装職人の多くが、これまでの経験をもとに塗装をほどこしてしまったことで、さまざまな不具合を引き起こしていたのです。
――塗装職人に、ASTEC PAINTS塗料のことをもっと知ってもらわなければ。
そこで技術管理部は、塗装職人向けの技術フォローをはじめます。
定期的に技術研修会を開催し、製品の特徴や、塗装の際どこに気をつければいいのかなどを細やかに説明。
ASTEC PAINTS塗料を扱う加盟店は、必ずこの研修会を受けるように。
また技術管理部のメンバーは、塗装職人と接する機会が増えたことで、あることに気がつきます。それは、十分な教育の機会を得られていない塗装職人があまりに多いということでした。
塗装職人の世界では“先輩から見て学ぶ”以外に技術習得のチャンスのない場合がほとんど。
そのため、誤ったやり方を受け継いでいたり、不明瞭な部分を自己流で完結していたりと、正しい塗装を施すにはあまりに乏しい教育体制といえました。
「このままでは塗料の性能が、正しく発揮されない」。
そこで、技術管理部は技術フォローの土俵を広げます。
ただASTEC PAINTS塗料を知ってもらうだけでなく、“そもそも塗装は何のために行なうのか”、“経験や感覚だけに頼ることの危険性”といった塗装職人のイロハから伝えるようになっていったのです。
2012年、アステックペイントジャパンは、オーストラリア産ASTEC PAINTS塗料の総代理店としての枠をこえ、“塗料メーカー”へと歩みを進めます。
そこで大きく立ちはだかったのは、技術管理部の未成熟な組織体制でした。
というのも、塗料の製造は、これまでとは全く違うフェーズの仕事。
部内の知識・経験不足は否めず、そもそものマンパワーも大きく足りない状況だったのです。
そこで、まずは、知識と経験が豊富なハイキャリア人材の確保を急ぎました。
そして社内の若いメンバーの育成にも注力。
約1年以上の時間をかけて、少しずつ“製造ができる組織”をつくりあげていったのです。
そして2013年。
アステックペイントジャパンは、ついに塗料の製造に乗り出します。
初の自社製品となる下塗材『エピテックシーラープライマー』の発売に漕ぎ着けたのは、翌年2014年のことでした。
自社生産をスタートしたことにより、「日本塗料工業会」への加入が決定。
これはアステックペイントジャパンが、塗料メーカーとして正式に認められたことを意味するもの。
「ゆくゆくは塗料メーカーへ」と強い想いをもっていたアステックペイントジャパンにとって、この出来事は、大きな通過点となったのです。
塗料メーカーへの扉を開いた技術管理部は、新たなチャレンジをはじめています。
それは塗料の研究・開発分野への進出。
実現すれば、研究開発から製造、販売まで、ワンストップで行なえるようになります。
それは塗料メーカーとして、「より高品質な塗料を」という市場ニーズに向き合い続ける、という覚悟の表れでもあるのです。
アステックペイントジャパンは、2020年の目標をこう掲げています。
「2020年、建築塗料メーカーシェア、トップ5へ」。
少子高齢化の影響を受け、リフォーム業界の市場は、2020年にピークを迎えるといわれています。
そして、その後、マーケット規模が次第に縮小していくことは間違いありません。
そんな市場の動きを見据え、アステックペイントジャパンは、ASEAN市場の開拓を模索。
その先駆けとして、アステックペイントタイランド社を設立しました。
代表の菅原は、こう公言しています。
「ASEANへ市場を求めることで、会社として継続的な成長を続けていく」。
アステックペイントジャパンは、大きく世界へと、その可能性を広げています。
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