History-01 | ASTEC PAINTSオーストラリア社と代表菅原の出会い |
History-02 | 菅原を突き動かした、マーク・ウォーターズの存在 |
History-03 | アステックペイントジャパン設立へ |
History-04 | 苦難の販路開拓 |
History-05 | 塗装業界の固定概念を捨てる |
History-06 | 価値を決めるのは、消費者 |
History-07 | 加盟店制度のはじまり |
1998年。
菅原(現SP&Sグループ代表)は、住宅建材商社の駐在員として、オーストラリアの地で働いていました。
「ASTEC PAINTS。できたばかりの小さい会社だが、勢いがある」。
営業先である建材部品メーカーをまわると、たびたび話題にあがる、オーストラリアの塗料メーカーASTEC PAINTS。建材部品を扱う菅原に直接関係する会社ではないものの、同じ建築業界としては、気になる存在。菅原は意を決し、訪問してみることに。そこで待っていたのが、ASTEC PAINTSの創業者であるマーク・ウォーターズでした。
マーク・ウォーターズは、塗装職人として、そのキャリアをスタート。
そして職人として技術を磨いたのち、仲間と共に塗装会社を設立します。独自の工法や、道具を開発し、高品質の塗装工事を目指し続けた結果、会社は大きく成長。
ついにはオーストラリア有数の都市アデレードでトップクラスの塗装会社に。しかし、「絶対的に高品質の塗装を提供したい」という強い想いのなか、塗装技術の向上に力を注ぐほど、マーク・ウォーターズは、大きな壁を感じるようになります。
「いくら技術を向上させても、塗料の品質がともなっていなければ意味がない」
そして、ついに自ら塗料の開発・製造に踏み切ったのです。こうして生まれたのが、ASTEC PAINTSでした。
菅原は、マーク・ウォーターズの塗装業界にかけてきた生き様や、並外れた塗料への情熱に胸をうたれます。
「この男と仕事がしたい。この男がつくる塗料を売りたい」
しかし、住宅建材商社で働く菅原にとって、塗料は、いわば畑違いの商材。それでも、なんとか取引ができないかと、会社と交渉をはじめたのです。
「絶対に売れます。私が責任をもって売ります。だから輸入させてください」。
菅原は、上司への説得を続け、なかば強引にASTEC PAINTS塗料の輸入をはじめました。
しかし、住宅建材商社には、流通ルートもない、これまでの顧客層とも違う。
そんな状況で、大きな成果をあげることなく、結局は、会社として「取引停止」の決断がくだることに。
そこで、菅原は大きな決断をしました。
――俺が責任をもって、この事業を引き取る。
こうして菅原は独立を決め、アステックペイントジャパンが誕生することになったのです。
アステックペイントジャパンが誕生した2000年当時、日本はデフレ経済の真っ只中。
価格が安くないと、モノが売れない時代。
塗料も例外ではなく、「安ければ、安いほどいい」とされていました。
また、日本の家に対する価値観は、高度成長期にはじまったスクラップ&ビルドの考え方を引きずっており、古くなったら壊して新しくする、というのが主流。
欧米ではすでに常識となっていた、「屋根や外壁を塗り替えて、家の寿命を延ばす」という認識はまったくありませんでした。
そのため、塗料の“遮熱”“防水”といった機能の必要性は理解されず、高付加価値がゆえに高コストのASTEC PAINTS塗料の販路開拓は、困難を極めたのです。
菅原は、最大の販路先である塗料販売店への営業に力を注いでいました。
ASTEC PAINTS塗料の品質の高さ、そして、そもそも家の価値を長く守るためには塗装が必要であることを全国の塗料販売店に説き続ける毎日。
けれど、業界の常識となっている「より安い塗料を」というニーズに合わないASTEC PAINTS塗料を受け入れてくれる会社は、なかなか現れませんでした。
まさに八方塞がりの状況。
「すでにできあがった流通ルートに入り込むのは難しい」と結論づけ、塗料販売店ではなく、塗装会社へ直接提案をはじめます。
当時、デフレ経済の日本では、塗装工事の仕事は激減。
工務店からの発注に頼るしかない下請けの塗装会社は、さらなる苦境に立たされていました。
――何かしないといけない、けれど何をしていいかわからない。
そんな状況の塗装店は、藁にもすがる想いで、アステックペイントジャパンの話に耳を傾けてくれました。
そして、伝えたのです。
「一緒に考えます。売上をあげましょう」と。
けれど、塗装会社を相手にしても、深く根付いた「塗料は低コスト・最低限品質でよい」という価値観は容易にくつがえせるものではありませんでした。
そこで、「直接、消費者に聞いてみましょう」という提案をはじめます。
塗装業界にこびりついた固定概念をくつがえすには、実際に塗装サービスを購入する消費者にASTEC PAINTSの価値を認めてもらう以外にはない、と考えたのです。
そして、アステックペイントジャパンの命運をかけた問いに、消費者は応えてくれたのです。
「家を長く守れるなら、高い塗料を選ぶよ」。
こうしてASTEC PAINTS塗料は、日本での販路を少しずつ拓いていきました。
消費者からの反響を皮切りに、販路を塗装店だけに絞ることを決意。
「消費者の家を長く守る、価値のある塗装を一緒に広めていきましょう」という呼びかけに賛同してくれた塗装店を“加盟店”と位置づけ、直接ASTEC PAINTS塗料を卸す、直販体制を構築しました。
さらに、塗装店の経営基盤を確固たるものにすべく、工務店の下請けから脱却し、元請化していくことを提案。
そして、これまで営業活動をしたことのない塗装店に対し、営業ノウハウの指導もはじめます。
こうして、アステックペイントジャパンの考えに賛同する加盟店が少しずつ増えていきました。
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